中村社長は現在の職に就くまでに実に様々なキャリアを重ねています。学生時代、そしてMBA(経営学修士)時代のお話を聞かせて下さい。
「学生時代はアメフト一本。勉強はあまりしなかったですね。 卒業後は、MBA取得を目指し、アメリカの企業で働きながら準備を進めました。そして2年後MITに入学したのです。 MITでの初めての授業では、そのレベルの高さにショックを受けました。全くできないんですよ。 成績が350人中345番目くらい。課題も終わらなくて、平日は2〜3時間しか寝られない日々が続きました。 半年もすると生活にも慣れて、アジア・アフリカ・EU・東欧・南米等全世界からの留学生やアメリカの学生たちと仲良くなり、授業も面白くなってきました。 今思うとどんな環境下でも良く食べよく眠る、その図太さがモチベーション継続の礎だったのだと思います。 それができていなかったらノイローゼになっていたかもしれない。仲間にも恵まれましたね。 今でもボストンに行けば一緒にご飯を食べるし、日本に彼らがくればホストをしますよ。そういう良い関係です」 |
| アメリカの子会社を売却することが私の最初の仕事でした |
ベイン・アンド・カンパニー、ネットイヤーグループで働いた後に大和鋼管工業に戻っていらっしゃいます。この頃から現在までのお話をお聞かせ下さい。
「MBAを勉強していくと自分に何が足りないのか考えさせられることが多々ありました。卒業後は鳥瞰的な視野を養いたいと思い、コンサルという仕事を選びました。 そして2001年大和鋼管工業に戻るのですが、銀行が国有化されるなど日本経済の底辺ともいえる時期でした。 一次流通の中でも伊藤忠丸紅鉄鋼の設立など、業界再編の動きが起こっており、大和鋼管も決していい状態とはいえません。 そんな時、今まで一度も戻ってこいとは言わなかった父親から相談を受け、副社長として戻ったのです。アメリカの子会社を売却することが私の最初の仕事でした。 その後は人員削減、いわゆるリストラに着手したのですが、これは本当につらい仕事でした。場合によってはその人の人生を変えてしまうことにもなりかねません。 でも、その重みを知って大きく成長できたと思います」 |
| 大和鋼管で働いている人が、この会社で働いて良かったなと思えるようにしたい |
御社では現在、プロジェクト支援ツールや基幹業務の再構築など積極的に改革を進めていらっしゃいますね。 この改革によって、会社のどのような将来像を描いているのでしょうか。
「個人としても組織としても強いもの、依存ではなく自主的に成長できるようになってもらいたい。その根幹には様々な幸せをかなえたいという思いがあります。 そう考えると給料も難しい問題です。そこで、FT(ファースト・トラック)制度という成果報酬型の制度を取り入れています。 あるプロジェクトを行う人に対して、まず手当をつける。成果が出ればその手当は基本給に加算され、成果が出なかった場合その手当がなくなるという制度です。 FT制度は自己申告制で昇給するために、自分がやるべきことを自分で考えるという点でとても良い制度だと思ってます。 また現在、製造現場で働く者が過小評価されているのではと感じています。日本の製造の現場の技術力はアメリカと比べるととても優れているのに評価が低い。今後の課題としてそれをどうにかしようと考えています。 結果的に大和鋼管で働いている人が、この会社で働いて良かったなと思えるようにしたいですね」 |
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| 弊社の製品は、ここから生まれています。ものづくりの最前線です。 |
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| 信頼できる取引先から仕入れた鉄で、大和鋼管の製品を作っています。 |
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| 弊社の完成品です。この光沢を出すのは実は難しいんです。 |
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